JA3UB三好二郎さんが亡くなられてもう2ヶ月が過ぎました。その間も彼に関わるエピソードが度々思い出されます。それに、いろいろな方から三好さんの話を耳にしました。はっきりとものを言ったり、思い切った行動をされる方でしたから、共感する人、反感を持つ人、いろいろな思いを持った方がおられることと思っていましたが、三好さんが亡くなってからの2ヶ月間にお会いした方から最も耳にするのは、彼がいなくなったことの損失の大きさのことでした。お別れの会でのメッセージでも、多くの三好さんの功績が話されました。しかし、僕が三好さんの最も大きな功績だと思うことについては余り紹介されなかったように思います。もし、ご存知でない方がいらしたらとても残念なことと思い、そのことについて少しお話しをしてみたいと思います。
今から15年前の1992年、三好さんにお供をしてベトナムの首都ハノイを訪れました。もちろん無線機やアンテナを持っての旅で、ちょっとしたDXペディションのようでした。でも、行き先は何とベトナムの郵政省。ハノイでは国のゲストハウスに滞在し、ベトナム郵政省では次官を前にアマチュア無線の概論から、日米のアマチュア無線の免許制度等に至るまでのお話しをさせて頂きました。その後デモ運用のためのアンテナを郵政省の建物の上に設置してリグをセット。コールサインもその場で、ベトナムの割り当てプリフィックス + 電話の市外番号を基にしたエリア番号 + 「ベトナムテレコム」を組み合わせたXV4VTと決まりました。
こうなるとDXペディション的な運用となるのが相場でしょうが、僕達は運用せず、郵政省の方々にマイクを渡して運用をしてもらいアマチュア無線を理解頂くことに専念しました。前述のように、僕は三好さんに連れられてベトナム郵政省を訪れ、アマチュア無線のことを郵政省の方々に理解して頂けるようにお話をしただけなのです。ベトナム郵政省の次官(後に郵政大臣)にアマチュア無線のお話を聞いて頂けるようにするまでの段取りをする道程がどれほど大変だったろうかは皆さんに想像頂けると思います。そんなことを三好さんは一言も言わず、着実にベトナムのアマチュア無線解禁に向けて努力をされていました。この後、ベトナムでアマチュア無線がスタートし、海外のハムにも解放されるようになりましたから、JI3ZAGのメンバーを含めベトナムでアマチュア無線を楽しんだ方々も少なくありません。
このような話は、ベトナムにとどまらず、中国、カンボジア、ミャンマー、バングラディシュ等、アジアの多くの国でアマチュア無線が誕生したり、再開したりするのに、三好さんの努力が大きな力となっていたのです。このことは余り知られていないのはDXペディションのような派手さがないからでしょう。
全く一人でできることではないことも多くありますから、いろいろな方々を巻き込んだり、いろいろな仕掛けを作ったり、私財を投入したりしながら、努力をされてきたのです。ご存じなかった方々に、三好さんの大きな功績を知って頂ければと思います。

島本正敬 JA3USA
JI3ZAG Newsletter 2007年11月号より